とおい昔、やはり日本も“天皇は神さま”という、軍事的独裁体制にあったという。
それが連合軍にやぶれたとき、要領のいい大人たちは、占領軍司令官マッカーサー氏との対話・対面のなかで、自らの地位の正当性を訴え、保身をはかったという。
そのなかで生き残った、戦争犯罪者の末裔が、いまも、わが国の政界で、二世三世として幅をきかせているという。
いま、フセイン政権を、圧倒的な軍事力によって「制圧」したやからが、「われこそは正義なるぞ」と言って、“戦後復興”なるものを提唱している。
みずからの意思で、みずからの国柄を選択する権利は、その国の国民がもっている。このことは、あの多大な犠牲をこうむった第1次、第2次におよぶ、世界大戦の惨禍のなかから、「ヒト」という種族が到達した「叡智」であったはずだ。
それをふみにじるものが、ただ現在のところ、いかに、大きな軍事力をもち経済力をもっていようとも、それはただ一過性のこと。人間があゆんできた数万年におよぶ長いあゆみのなかでは、わずかな期間の逆流でしかない。たとえ「人間」が、特定の、恣意的な目的を持たずに、今日まで進化しつづけたにしろ、なにより、「生き抜く」ために、これ以上の「共食い」を、人間社会全体が、放置しておくわけにはいかないのだ。
今回の、あきらかな、米英軍による「侵略戦争」の経過のなかで、報道されなかった数々の残虐非道の実態が、刻々とあきらかになるだろう。いったい、この数週間に、「独裁体制転覆! 民主主義擁護!」という旗印のもとで、いかなる所業が行われたかが、必ず、全世界の人びとの眼前に、明らかになるだろう。これらの所業に加担した人びとを、わたしは「戦争犯罪人」と呼ぼう。イラクの、罪なき子どもたち、女性、老人、逃げたくとも逃げることのできなかった人びとや、殺されるべきでは、決してなかった人びとの、痛恨の叫びを叫び続けなければならない。
それは、アメリカ政府の、狂信的キリスト教原理主義者ともいうべき、ブッシュ大統領の政策に、なんの躊躇もなく、支持を表明し、加担してしまった、わが国政府与党――自民党・公明党・保守党のヤツらを、与党としているはずかしさ故だ。こんなヤツらを与党とする政府を樹立するだけの、国会議員をかかえている、日本国民の恥辱としてだ。