ひきとってもらえなかった本
ブックオフの基準は知らないけど、ずいぶんひきとってもらえなかった。けっきょくこんどの有価物収集の日にまとめてだすしかないな。
部屋のスペースを考えると、ほんとうに手もとにおいておきたいものか、書店では手に入らない本以外は、図書館で借りるのが妥当だと思い至った次第。
通常の書籍なんかは市立図書館や県立図書館があるし、マンガも、さいきんはまんが図書館ができたし。省スペースのための方策は、けっこうたくさんあるものだ。
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ブックオフの基準は知らないけど、ずいぶんひきとってもらえなかった。けっきょくこんどの有価物収集の日にまとめてだすしかないな。
部屋のスペースを考えると、ほんとうに手もとにおいておきたいものか、書店では手に入らない本以外は、図書館で借りるのが妥当だと思い至った次第。
通常の書籍なんかは市立図書館や県立図書館があるし、マンガも、さいきんはまんが図書館ができたし。省スペースのための方策は、けっこうたくさんあるものだ。
レンタルDVDで視聴したのは知人から紹介されたアメリカのSFドラマ映画「アンドリューNDR114」。
原題は“Bicentennial Man”。なんと訳すべきか。内容からしても、直訳どおり“200年目の人間”か。以前、スピルバーグが手がけた「A.I」をスカパーのペイ・パー・ヴューで観て期待はずれだったことを知人に話したら、この映画を紹介してくれたのだ。よかった。「A.I」より、よっぽど深みのあるストーリーだったし、テーマもしっかりしていたし。
邦題の「アンドリュー」というのは、「彼」が購入された先のマーチン家の娘が、「アンドロイド」という父の説明に、それが名前だと勘違いして、舌足らずの口で思わずつぶやいた言葉。それがそれ以後200年間「彼」の名前となる――Andrew Martinと。このアンドロイドを演じるのは、芸達者のRobin Williams。
“A.I”でも、やはりアンドロイドという機械が愛情をもてるのかということがテーマとなっていたが、モチーフのベースは「ピノキオ」。そしてこの場合の愛情というのは、ひたすら恋い慕う、母親にたいする愛情。一方、“Bicentennial Man”でも、彼が人間と恋をし、結婚することがストーリーの柱なのだが、むしろテーマはアイデンティティ、あるいは人間性とは何か、ということではなかったか。なぜ原題が「200年目の人間」という題名かは、この映画のラストに判明する。
ゆうべは夜の会議のため、帰宅が午後10時になった。そのため就寝時刻は、たぶん午前2時。これじゃあ翌日の仕事に差し障りがあるなあと思ったが、それでも、翌朝、つまり今朝は、いつもと同じ、午前7時半に目がさめてくれた。
それで、きょうは午後5時半には退社。夕暮れの空気は、やはり冷たかったのだが、妙にしっとりと感じる。きのうまでの空気よりも湿気をおびているのが頬にあたる風でわかる。
空を見上げたら、西の空から南の空にかけて、青黒い、みるからに重そうな雲がたちこめていて、そこから湿った風が吹き降ろされているのだろうかと思う。専門家じゃないし、朝連ドラのヒロインじゃないし、くわしいことはわからんが。
それでも、「春だなあ」と思ったわけだ。
PCやオーディオ系統の整理も終わった。配線をもういちどしなおして、コードをまとめて、こんがらがっていたものを、見栄えよくする。
台所の整理もあらかた終わって、あらためて本棚をみると、もっと思い切って捨てられるものがあったと、数冊ぬきとって、こんどの「資源ごみ」の日に備えていた。
本棚を整理しおえたときに、自分自身に基準を設けたのだったっけ。図書館で間に合うものは買わない……。でも、ぬきとった本を、数日経ってあらためてながめていて、どうも、あの本だけは、手に入らないかもしれない、と思った。たぶん、書店でも、いまでは簡単に手に入らないかもしれない。なにも、古書の類ではないし、プレミアがついているわけではないだろうけれど、この本から受けた感動を、逃したくない。そう思い直して、もう一度棚へかえした本が、以下の本である。
斉藤隆介作/滝平二郎絵 『ベロ出しチョンマ』 理論社 (消費税導入前に購入)
斉藤隆介作/滝平二郎絵 『天に花咲け』 新日本出版社 (おなじく…)
木下蓮三・小夜子作 『ピカドン PICA-DON』 K.K.ダイナミックセラーズ
武力攻撃はイラクにたいする回答とは決してなりえない!
日本とアメリカ・ワシントンDCとの時差は、およそ11時間ほどらしい。ブッシュ大統領が決断の基準日と設定していたのが17日。きょうももう幾時間かで終わる。
2月16日を前後して全世界をめぐった“ピース・アクション”の大波を境に、日本国内のマスメディアも、イラク武力攻撃を唯一の“圧力”とする、アメリカやイギリスと、それを支持するスペイン、日本政府などの姿勢を疑問視する報道がされはじめたが、全体としては、戦争開始は力関係として止む無し、という雰囲気だった。
ここにきて、全世界の世論が、各国の政府を動かしはじめている。これまでにない、戦争阻止への熱意と圧力が、各国政府を取り巻いている。国連加盟諸国のうち、数としてはもっとも多数を占める非同盟諸国と中東・湾岸諸国も、武力攻撃に反対の意思表示をした。けっして反アメリカの態度をとっているわけではない国ぐに、それどころか、アメリカへの経済的政治的依存度がつよい国ぐにでさえもだ。
それに引き換え、日本政府の態度は、「依存度がつよい」国ぐににくらべても信じられないほど、アメリカ第一主義まるだしである。依存しているというより、一心同体というべきか。だから、日本政府の見解など、聞く必要がない。アメリカ政府にさからったことなど、戦後これまで一度としてなかったのだから。
その日本政府の足元でも、若者が立ち上がり始めている。日本政府の態度を変えさせるのは至難の業ではあるが、強力な同盟国日本の国民世論の動向は、必ずや世界にむけた強いメッセージとなるにちがいない。
ヘミングウェイの小説『誰がために鐘はなる』で知られているスペイン内戦勃発時、スペインはガリシア地方のある村にすむ少年の物語。原作をぜひ読みたくなった。
少年の目線から、フランコのクーデターによる独裁にむかう緊迫した空気や、生きてゆくことの哀歓が描かれている。
この映画については、評論で、ラストに少年がさけぶ言葉が衝撃的だとある。私にとっては、むしろ、ラストの言葉よりも、その直前に少年が母親にうながされてさけんだ言葉と、その一連のシーンの方が衝撃的だった。さけぶ少年とそれをなんとも悲痛な表情で見つめる老教師。この2人をうつしだすラスト近くの一連のシーンは、胸をしめつける。
妻に早くに先立たれ、若くして寡となったこの男は、言葉によっても直接の暴力によっても、子どもたちにたいして体罰をあたえることをけっしてしない。未来のスペインの担い手として、子どもたちに学び伝えることのみに人生をかけてきた。この老教師は物語の最後、退職し、第一線からは退いている。この老い先短い男を、共和主義者というだけの理由で収容してゆくもの。その男たちに「裏切り者! アカ! 不信心者!」と村人に叫ばせたもの。そして、愛情をそそぎ、明日の自由スペインの建設者として期待してきた子どもたちに、石を投げつけさせたもの。それが衝撃的に浮かび上がってくるのだ。
評論に紹介されているラストの少年の叫びは、当時の状況下では口にすることが困難だった言葉であり、フランコの独裁体制が確立されるなかで押しつぶされていったあらゆる表現の象徴である。だからこそ、映画の中で(あるいは原作となった小説のなかで?)少年をかりてスペインの良心が叫ばせたのだと思う。
ヘミングウェイの上記の小説を読んだことがなく、スペイン内戦も、写真家キャパの名やフランコ将軍という固有名詞から、おぼろげにしか知識のなかった私には、当時の世情をおおまかにでも知ることができた、歴史教養映画としてもありがたい映画だった。
理由の第1。今回のイラク武力攻撃は、国際法上なんらの根拠もない。理由の第2。主権国家の元首を選択する権利は、当該国の国民にあるのであって、第三国にはない。したがって、気に入らない国の元首を追い出せないからといって、追い出すためにその国を武力で威嚇したり、侵略する権利は、いかなる国にも認められていない。
理由の第3。大量殺戮兵器の廃棄について、それをイラク政府が放棄、拒否したという証拠はないし、国際機関は、いずれの機関も、イラク政府が大量殺戮兵器の廃棄を放棄、拒否したということを断定してはいない。むしろ、査察の継続と強化によって、湾岸戦争いらいの国際約定の履行をせまることは可能であると判断している。
世界的に「戦争はこたえではないし、問題を解決しない。武力攻撃反対」の声が、未曾有の規模に高まっているなかでの愚行である。アメリカ合衆国政府の行為を世界の市民はけっして黙認しないだろう。また、米政府を支持する国々の政府をも。
さらに、この愚行をたんなる事実の列挙としてしか報道できない、無知蒙昧なNHKニュース報道のあり方は、かの七十年戦争において、報道機関がおかした罪を、くりかえすものだろう。私は12年前、湾岸戦争勃発時に学生だったが、当時腹立たしかったのは、攻撃する側のニュースは流れても、攻撃されている側の被害について、ほとんど情報が入らないことだった。ところが、今回については、この愚行が開始される前からの傾向が、よりエスカレートしているのだ。
とくに、NHK特派員の口をかりてしめされた、NHKのフランス政府の外交にたいする評価に、それが顕著だ。まず、こうだ。
武力攻撃によらない事の解決を主張していたフランスにとって、この戦争を回避できなかったことは、フランス外交の限界をしめすものと言える戦争をひきおこしたのは、イラクではない。アメリカ政府自身である。イラクが直接アメリカを攻撃したのではないし、12年前のように、隣国のいずれかを攻撃したのでもない。戦争を開始した側を「やむをえない行為だ」と擁護しておきながら、平和的解決を一貫して追求し、その先頭にたって奮闘してきた政府の外交を非難するとは、言語道断である。そして、さらに、こう続けたのだ。
戦闘がはじまったうえは、早期に戦争が終結することを願うとして、フランスはアメリカ軍の領空通過をみとめているが、冷え切ってしまったアメリカとの外交関係は、容易に修復しないだろう。今後、アメリカとの間の外交の困難を克服することが、フランスにせまられているNHKのアメリカ中心主義の根深さが相当なものであることが、この報道一つみても分かるというものだ。
しかし、はたして、NHK特派員氏がいうように、ことがすすむだろうか。私はそうは思わない。威信を失墜しており、今後、国際外交の表舞台で、その権威をなくしていくのは、フランスではなく、アメリカ政府だろう。そして、そのアメリカに、ひたすら追随してきた日本外交のような、国際平和ではなく、アメリカ第一主義の世界ルール構築にあくせくする国ぐにの政府の外交のあり方が、権威をなくしていくにちがいない。
私はこのさい、国際法廷において、戦争犯罪人として、米大統領ブッシュ氏を訴追するべきだと思う。
そしてついでに、これまで私はNHKの受信料をあまんじて支払っていたが、ここにきて、私が支払っている意味をもう感じなくなったので、受信料支払を拒否することを決めた。
さっき電話で受信契約の解約申請をした。若干のやり取りが必要だった。「解約したいから引き落としは中止してください」の一言ではすまなかったのだ。
受付した女性スタッフによれば、“放送法”にもとづいて受信契約と受信料支払が規定されているそうで、NHKの放送を受信することのできる設備をもっているものは契約を「しなければならない」のだそうだ。
放送法第32条1項にはこう記述してある
協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない。ただし、放送の受信を目的としない受信設備又はラジオ放送(音声その他の音響を送る放送であつて、テレビジヨン放送に該当しないものをいう。)に限り受信することのできる受信設備のみを設置した者については、この限りではない。「ですから」――と受付の女性は言った――「解約には、お客様のテレビが壊れてしまったとか、受信設備が機能しなくなったというような理由が必要なんです。」
結局、いったん契約をしてしまえば、テレビを壊すか、アンテナを撤去しないかぎり、契約を解約することはできないということだ。
幸いというか、私のアパートのテレビは室内アンテナだったので、すぐアンテナの接続を切って、「いま、室内アンテナとの接続をきりました。こんどのごみの日にアンテナをだして処分します。」と言ったら、解約申請を受理してくれた。正式には、こんど送られてくる書類にサインして、送り返せば、完全に解約完了ということだそうだ。
放送内容が見るに耐えないという理由だけでは、解約することができないということをはじめて知った。NHKも教育チャンネルとか、総合チャンネルのスペシャル番組とか、いい番組はあるし、残念だけど、CSを受信していることだし、映画やドラマ、アニメーションなどは十分楽しめるし、主要な国のニュース配信も行なわれている。それに、これで、NHKのイライラするようなニュースはもう見なくてすむ。
これは期待していなかったが、受信料が半年ずつの銀行口座引き落としとなっているため、ことしの7月まですでに引き落とされていた分、4月から7月までの契約料は返金されるとのこと。もどってくるというのだから、ありがたく頂戴しておこう。
この言葉、いつから使われはじめたのだったか。しかし、ほんとうに都合のいい言葉だと思う。けさの新聞にもいくつか出てきているけれども、この「誤爆」の下には生身の人間がいるのだ……。
あ、ごめん。まちがえちゃった――ではすまないのだ。
首都をはじめ、人口の密集している都市を空爆、砲撃するという行為自体、無差別性の濃い攻撃なのは明らかなのだ。すべての住民が避難してしまっていると確認できない状態で行なわれているのだから。
そういえばブッシュ大統領はこんなことを言っていたっけ
フセイン政権は冷酷非情だ。市民を平気でわが身の盾とするつまり、フセイン政権を攻撃するさいに、住民が犠牲になることを十分承知のうえで、今回の作戦を展開しているということらしい。
「放送受信機廃止届」――帰宅したらNHKから届いていた。先日の解約申請にもとづいて送付されたものだ。氏名と捺印欄のほかに、「廃止理由」の記入欄があったので、つぎのように書いた。
とくに今年に入ってからの貴社のニュース報道の放送内容が、放送法第1条、および第44条に抵触し、視聴するに堪えないものとなったため。あすの日付で届日を記入した。さっそく投函しよう。
職場への往来に通う道沿いに、2つの神社があって、それぞれの境内に桜の木があるのだけれど、この2日くらいの間に、淡い色の花びらを開いている。
さいきん、昼間のだるさがとてもつらくて、暖かくなるのも良し悪しだと感じていたら、本格的な春なのだと、その桜の花びらを見て、思ったのだ。